父母の墓碑銘

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昨年10月に亡くなった父((株)日本テント製作所創業者)の後を追うようにして母が他界いたしました。
ひとりっ子の自分はもっと落ち込むものと思っておりましたが、想像以上に平静な自分がおりました。

父の死は あまりに唐突で最後を看取る事も叶いませんでした。
そして 父に対する色々な思いが交錯し 自分にとって本当に悲しい別れでした。

父の葬儀の後悲嘆に暮れる母を見て、それから急激に悪化した病状の中苦しむ母を見て思いました。
母は 早く父の処へ行きたがっているのではないかと 早く楽になりたいだろうなと

それから 母の家で母と寝泊りする日が続き 昨年の暮れも押し詰まったころ 訪問看護の看護士さんとかかりつけの先生の勧めで 入院しましたが 病気の進行は続き  「苦しいから眠らせてほしい」と自分で先生にお願いしていた母に 近親者からお別れをして鎮静剤で24時間睡眠に入り 意識のない母を見舞う日が続きました。

それから一週間 母の亡くなった朝 3時頃に看護士さんからお電話を頂き私と妻は まどろみの中 眠気を振り払い 病院に向かいました。
そして 電話を下さった看護士さんが 母を個室に移してくださり 母と最後のお別れをすることができました。

母は まるで私と妻の到着を待っていたように 鎮静剤で眠りに就いている中 一瞬口を動かし 「ありがとう」と言ったように2人には見えました。そして その後すぐに 脈拍がゼロになると同時に もう一度母の口が動き 「さようなら」と言ったように 私たちには見えました。 時間にして5分あっただろうかという短い時間でしたが 母が病気から解放され 父の元へ旅立てたという安堵感で それまでの最大の心掛かりだった母の病の苦しみが「やっと終わりを遂げた」というその一点に収束されていきました。

父母が亡くなった後 ふと気付いた事があります。
それは 自分が生きて来た人生の中での価値基準として 「父母の喜ぶ顔が見たい」という気持ちが いかに大きいものだったのかという事です。今までほとんど気付くことの無かった自分の行動基準に驚き、改めて両親の大きさを認識しました。
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とうちゃん かあちゃん ありがとう。
この親不孝者を 見守って下さい。
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遼太郎君と瑛太君と一緒に とうちゃん かあちゃんを見送ったあと またひとり 孫が増えました。小浦 蒼くん 男の子です。男の子ばっかりです。
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一族は まだまだ増えます。たぶん年末ごろもうひとり。

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